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2006/06/21 (Wed)
藤波 新日本退団・・・
藤波が新日本退団、34年の歴史に幕 藤波辰爾(52)が新日本を退団することが20日、明らかになった。この日、東京・目黒の新日本事務所で辞表を提出した。藤波は4月の株主総会前に退団を決意。その後は会社側、親会社ユークスの慰留を受け、話し合いを続けてきた。約2カ月間の熟慮の末、退団の結論を出した。今後は西村修ら直系の弟子たちとともに、理想のプロレスを追求していく。 ミスター新日本が、ついに団体を去る。藤波は、この日、都内の事務所で辞表を提出した。新日本のサイモン社長へのあいさつもすませた。「近日中に会見を開きます。そこで自分の思いを伝えたい」と話すにとどまったが、決意は固いようだった。 すでに株主総会前の4月に退団の決意を固めていた。会社への不満ではない。新日本、親会社ユークスからの慰留には感謝している。ただ一昨年6月に社長を降りて以来、自分の理想とするプロレスとのずれに悩んできた。さらに今年に入って、気心の知れた選手、社員が退団。自分を慕って入ってきながら辞めた人間への責任感が、退団を決める大きな理由になった。 アントニオ猪木の一番弟子として、72年1月の新日本設立から参加。数々の名勝負で団体を盛り上げ、ピンチも乗り越えてきた。99年からは5年間社長も務めた。34年間の新日本一筋の人生。誰よりも新日本を愛してきた自負もある。2カ月間、悩みに悩んだ末の最終決断だった。 プロレスへの熱い気持ちが消えたわけではない。今後は、新たな団体、イベントを立ち上げ、理想のプロレスを追い求めていくことになりそうだ。「辞めた人間に手を差し伸べたい」と話したこともある。元新日本の西村や田中秀和リングアナとの協力も視野に入っている。もちろん、現役も続ける。今回の退団劇を、プロレス人生の終わりではなく、新たなスタートにするつもりだ。 【ニッカンバトルニース 6/21より抜粋】 |
決断できない藤波がついに決断をしまた。
先日の新日本金沢大会6/3は客の入りは、イマイチだったですが、近年になくいい地方興業でした。新日本の再生を感じさせるいい興業でしたが、確かに、今の新日本には藤波の居場所はない。
ユークスと新日本の関係を作った藤波ですがいなくなると象徴がいなくなることで、ユークスと新日本との関係に変化はでるのだろうか・・・。
藤波といえばかつて
1988年4月22日 沖縄・奥武山体育館での飛龍革命
ドラゴンボンバーズ 結成
無我 興業いずれも尻すぼみになってしまいました。
果たして退路を断った藤波に飛龍革命 第4章が始まるのでしょうか・・・。
西村選手が自主興業をやる無我スタイルのプロレスの核になっていくことには間違いはないと思います。いずれ棚橋も合流するということがあるのだろうか?
でも無我スタイルの興業は、どうなんだろう最初はいいとは思うのですが・・・・・・。
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- 2006/06/21 11:18:27
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